イエスのたとえ話 30 良きサマリヤ人のたとえ ルカ10:25-37

メッセージのポイント
良きサマリヤ人のたとえ(イエスのたとえ話30)  
  ルカ10:25~37

A 律法の専門家の質問
  ○どうしたら永遠のいのちを得られるか
  ○わたしの隣人とは誰か

B イエスの答え
  ○行って同じようにしなさい
  ○誰が隣人になったのか

C ちがいはどこに
  ○私中心で私を満たすために「隣人」を手段とみなす
  ○ある人を目的としてある人を満たすために私が「隣人」となる

D 真実の隣人はイエスおひとり
  ○罪人は罪人の隣人にはなれない
  ○義人イエスだけが隣人になりうる
  ○本当は「私」こそ通りすがりではなく傷ついて死にかけた人

E 家族という隣人
  ○夫婦さえ隣人にはなれない(アダムとエバの場合)
  ○親子さえ隣人にはなれない(アブラハムとイサクの場合)
  ○神抜きの人間関係は成立しない

F 隣人愛から兄弟愛へ
  ○私はあなたを愛せませんという告白から始まる
  ○兄弟姉妹とは相互の中におられる主によって仕え合うことができる人たち
投稿者 emi 時刻: 16:49

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by kakosalt | 2013-05-26 18:17 | イエスのたとえ話 | Comments(1)

イエスのたとえ話29 やもめと裁判官のたとえ ルカ18:1-8

メッセージのポイント
やもめと裁判官のたとえ (イエスのたとえ話29) ルカ18:1-8

A 「祈り」は人の価値観や考え方よりも深いところに組み込まれてい る
  ○神のいのちから離れた霊的仮死状態では「本来の祈り」は機能しえ   ない
  ○宗教は「祈りの名残り」を歪んだかたちで経験させる

B 「祈り」は新しいいのちの呼吸
  ○イエスはまことのぶどうの木であり私たちはその枝(ヨハネ15:5)
  ○絶えず祈ることとは・・・・祈りの質を変えていくこと
  「喜ぶこと」「感謝すること」とともに(Ⅰテサロニケ5:16~18) 

C 祈りは神とのつながりや関係性の証
  ○私たちはどう祈ればよいのかわからない(ローマ8:26~28)
  ○関係が深ければ奥の間へ向かっていく(マタイ6:6)
  ○同じことばを繰り返すのは関係が悪い証(マタイ6:7)
  ○すべてのことが「神より発し」「神によって成り」「神に至る」
   (ローマ10:17)
  ○信仰は聞くことに始まる(ローマ11:36)

D アブラハムのとりなしの真実
  ○まず主がアブラハムに御自身の計画を示された(創世記18:17)
  ○アブラハムは主の前に立っていた(同22)
  ○アブラハムは主に近づいて申し上げた(同23)
  ○アブラハムは「親族助けて欲しい」とは祈らなかった(同25) 
  ○アブラハムは自分がちり灰にすぎないことを知っていた(同27)

E なぜ不正な裁判官とやもめなのか
  ○神を恐れず人を人とも思わない裁判官
      ・・・・「人格は最低」しかし「法律を遵守する義務がある」
     →失望しなくてよい十分な理由が神様の人格にある
  ○やもめ・・・・社会的地位が低く相手にする必要感が乏しい
     →祈る側の資質や熱心さは祈りが聞かれることと無関係

F イエスの祈りの本質
  ○目に見える現実と関係のない感謝(ヨハネ6:11)
  ○祈りは祈る側ではなく祈りに答える側にかかっているという告白
   (ヨハネ11:42)
投稿者 emi 時刻: 18:11

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by kakosalt | 2013-05-18 12:01 | イエスのたとえ話 | Comments(0)

イエスのたとえ話28 ミナのたとえ
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by kakosalt | 2013-05-18 11:36 | イエスのたとえ話 | Comments(0)

イエスのたとえ話27 邪悪な時代 マタイ22:1-14

11月2日     邪悪な時代(イエスのたとえ話27)

             マタイ22:1~14

A 邪悪な時代はその邪悪さを自覚しない
  ○イエスに酷評されたユダヤ教指導者は尊敬の的(マタイ23:2, 7)
  ○知識の深さ、厳格なライフスタイル(ガラテヤ2:11~14)

B イエスの律法学者・パリサイ人批判のポイント
  ○彼らが何を主張したかではない(マタイ23;3)
  ○偽りの父から始まる偽りの系譜(ヨハネ8:31~44)
  ○指導者が最も大きな救いの妨げとなる(マタイ21:42, 23:15)

C 神のことばを聞いてそれを守る人たちの幸い
  ○幸いなのは神のことばを聞いてそれを守る人たち(ルカ11:28)
  ○個人が特定の団体への所属をもって承認することなどない
     →家族や肉親でさえひとくくりとは見なさない(マタイ12:46~50)

D 邪悪な時代が求める「しるし」と「不思議」
  ○イエスは「型」や「影」ではなく「本質」であり「実体」
  ○イエスを見たものは父を見た(ヨハネ14:7,9)
  ○日々みことばを味わうことがイエスと出会うこと(ヨハネ6:63)
  ○ヨナやソロモンに劣ると見えた人間イエス(マタイ12:41~42)

E 変貌の山で3人の弟子が見たもの 
  ○神の栄光を完全に現すのは誰か(ヘブル1:3)
  ○神と人との仲介者は誰か(Ⅰテモテ2:4)
  ○神が満足するのは誰か(マタイ17:5)

F 邪悪な時代に必要なことは
  ○みことばを聞いて逆らうといっそう悪くなる(マタイ12:43~45)
  ○人に惑わされないこと(マタイ24:4)
      →大事なのは新しい創造(ガラテヤ6:15)
  ○悔い改めが求められている(マルコ1:1~2,15)
      →悔い改めが福音の根を支える(使徒17:26~31)
  ○バプテスマのヨハネに「しるし」も「不思議」もない
投稿者 emi 時刻: 16:33
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by kakosalt | 2013-05-11 10:23 | イエスのたとえ話 | Comments(0)

イエスのたとえ話26 披露宴のたとえ マタイ22:1-14

披露宴のたとえ (イエスのたとえ話 26)

 マタイ22:1~14

A 神を拒む3つのたとえ
  ○ ふたりの息子のたとえ(マタイ21:28~32) 
  ○ 悪い農夫のたとえ(マタイ21:33~44)
  ○ 披露宴のたとえ(マタイ22:1~14)
     「ユダヤ人の指導者たちが、待ち望んでいたはずのキリストであるイエスを拒
     むことによって、罪人や異邦人たちに救いが広がっていく」
         →唯一の神からの栄誉よりも互いの栄誉を重んじた(ヨハネ5:44)
         →新しい着物を着ようとは思わなかった。
            古い権威への執着(マタイ21:23,45~46)

B 披露宴の象徴するもの
  ○ 王・・・・父なる神     
  ○ 王子・・・・御子イエス
  ○ 披露宴・・・・教会の交わり 
  ○ 招待しておいた客・・・・ユダヤ人
  ○ 大通りで集められた人・・・・異邦人 

C 「礼服」こそが参加資格
  ○ 当時のユダヤでは、王は招待客に晴れ着を送る習慣があった
  ○ 礼服を着ているかいないか・・・参加資格は「人」ではなく「服」
    「礼服を着ている悪い人は楽しく飲み食いしているのに、礼服を着ていない良い
    人は手足を縛られて放り出されているということも当然起こり得る」
  ○ 礼服はイエス・キリストの義による贖い
  ○ 礼服を着ていくことは信仰の告白 
    「私は罪人であり、イエスおひとりが義であり、そのイエスの義が私の罪を覆っ
    ている。だから神はキリストの義のゆえに罪人の私を、そのままで受け入れる
    ことができる」(ガラテヤ3:26~27)
  ○ 礼服を軽んじることは威光を傷つけ名を汚すこと・・・・救いの拒絶
  ○ イエス・キリストを日常的に着ていること(ローマ13:14)

D 天の御国とは
  ○ 父なる神のご人格そのもの(マタイ22:2)→イエスを味わうこと
  ○ 人となられたイエスがおられない世界は本質的に空っぽ
投稿者 emi 時刻: 11:33

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by kakosalt | 2013-05-04 23:21 | イエスのたとえ話 | Comments(2)

Saltによる聖書のメッセージ